側弯症ママのドタバタフリーランス生活

中2で特発性脊柱側弯症になり20歳で手術、術後11年目。5歳の女の子のママでフリーライターをやってます。

もうすぐ脊柱側弯症の術後11年目をむかえます。

最近、ふと自分の持病である特発性脊柱側弯症の最近の事情が知りたくなり、Twitterで検索してみました。すると、結構いらっしゃるのですね。

私は今年で術後11年目に入りますが、ここ数年(特に産後)は側弯症について考えることもなく、ごくごく普通に日々を送っていました。が、肌の弱い娘のためにオーガニックコットンのパジャマを縫っていたら、「そういえば、コルセットの下に着ていた下着が痒かったなあ」「あのころはオーガニックコットンの下着とかなかったよなあ」と、急に側弯症のことを思い出し、そういえばあれから側弯症事情(?)ってどう変わったのかな?と検索をかけてみた。というわけなんです。

Twitter上でしか検索はしていませんが、それでも様々な状況下で側弯症と向き合っている方々のつぶやきを拝見していると、中には術後間もないにも関わらず前向きに生きていこうと奮闘するだけでなく、他の患者に対して何かできることはないかと探す方もみえたんです。

それには、なんだか頭をガーンと打たれたような、気分でした。
当時、側弯症に関する情報が少なく、途方に暮れていた自分や母の背中を思い出しました。そして「チタンを使用しはじめてそんなに経過していないから、固定に使うチタンが何十年後にどうなっているかなどわからない」とはっきり主治医から言われたことも思い出しました。

それで思ったんです。

「とりあえず10年経過したし、懸念していた出産も普通分娩で無事に終えたし、とりあえず異常がなく普通に暮らせているという事実も、もしかしたらほんの少しでも参考になるかな?」と。

特発性脊柱側弯症と診断されるまでの簡単な経緯

とはいえ、側弯の症状はそれぞれ異なりますし、あれから年月も経っていて当時よりも医療事情は進化していることでしょう。最近の事情(?)は正直詳しくないので、どちらかというと、過去に起こったことや感じたことなどを振り返りながら、改めて側弯症と向き合う時間を作ろうかな、という感じです。

さて、そんな私が特発性脊柱側弯症と診断されるまでの経緯を簡単に追っていきたいと思います。

きっかけになったのは、中2の体育の時間で行った「とびうま」で、ペアになった友人が背骨の異常を指摘してくれたこと。友人と二人で休み時間に保険室に行き、先生に見せました。

保険室の先生から何か書類をもらい母親に見せると、「なにこれ?」と言う母親。
知らんがな。

どこか面倒くさそうにしていた母親ですが、数日後、近所の整形外科を予約してくれ連れて行ってくれました。なんの検査をしたかは正確に覚えていませんが、そこでレントゲンをとったのだけは覚えています。

私の住む町にある小さな整形外科だったのですが、先生はレントゲン写真を見るなり、「うちではみれませんので、市民病院へ行ってください。紹介状を書きます」と言いました。

さらに数日後、学校を休んで母と共に市民病院へ行くことに。
そこでまたレントゲンをとり、長い時間待ってようやく先生の診察を受けると、
「ここまでくるとうちではみれません。名古屋にあるM病院を紹介します。そこには側弯症の名医がいますから、その先生に診てもらってください」と言われました。

ここでようやく「側弯症」という病名が出て、「どうやら私はソクワンショウらしい」と認識し始めます。でも、それがどのような病気で、どんな治療が待っているのか、この段階では全く調べもせず、気にもせず、いやはやのんきなものでした。

母も同じくこの段階ではまだのんきな感じで、たらい回しにされるのを面倒くさがっていたようにも・・・・・・子どもの私の目には、そう映りました。

指摘してくれた友達は、時々「どうだった?」と聞いてくれ、その気遣いが嬉しかったです。

その後M病院へ行くのですが、その前に私は民間療法、いわゆる整体へ側弯の治療目的で通いました。整体師は、電気を流したりマッサージしたり・・・いろいろ施述をしてくれたのを覚えています。(正確に何回通ったかは覚えていません)

さて、市民病院でM病院を紹介してもらってから1〜2ヶ月が経ち、ようやく私はM病院の診察を受けることになります。※多分どこもそうだと思いますが、側弯外来って本当予約取れない!最近ますます取れない!!

当日の診察予約時間は、確か12時前だったと記憶しています。
でも、結局診察が行われたのは何時だったと思いますか?
14時?15時?
いいえ違います。19時です!!!

てっきりすぐに終わるだろうと踏んでいた母は、自宅でのレッスン(ピアノの先生でした)に間に合わないため、生徒へ電話し、カリカリ気味。私は私で、母のイライラを受けてイライラ。小学生の弟も帰宅しているのに帰れずで、母は余計にイラついている様子でしたが、私は好きでこんなところへ来ているわけじゃないし、イラつくくらいならほっといてよ。と内心思いながらイライラ。

母娘二人でイライラMAXの時にようやく名前が呼ばれます。

名医として紹介され、のちに私の手術をしてくれたK先生は、レントゲン写真を見ると「特発性脊柱側弯症ですね」と言い、側弯症がどのような病気で、放置しているとどうなるのか、治療法、私の現状やそれに対しての治療法などを淡々と説明してくれました。

病気になったのは何も嬉しいことではないのですが、やっと答えにたどり着いたというような開放感に包まれました。

母は「コルセットでの矯正は難しく手術しかない」と言われだいぶショックを受けているようでしたが、私は「へー、手術で治るのか」と結構のんきなもの。
手術すれば0度になるんだと勝手に勘違いして、術後、「えー話違うー!」と一人ショックを受けていたのは私です。その説明はあったと思いますが、聞いていなかった・・・。

とても長くなるので、とりあえず今日は「特発性脊柱側弯症」という病名がつけられるまでを振り返ってみました。