側弯症ママのドタバタフリーランス生活

中2で特発性脊柱側弯症になり20歳で手術、術後11年目。5歳の女の子のママでフリーライターをやってます。

側弯治療におけるコルセット生活ってうんざりですよね!でも時々いいこともあるよって話

冷房のかかった部屋から出られないグータラは、さっそく夏バテ気味になっておりますが、シャツ1枚着るだけでも暑いのに、制服の下に密着するコルセットを装着して生活するだなんて、拷問もいいところ。術後ならともかく、術前のコルセット生活は、終わりが見えないというか、どこか永遠に続くのではないかと思えてきてしまって、苦しさ満載。

冬は結構あったかくて、カイロ代わりにもなったもんですが、夏はさすがにそうはいきません。今すぐ外したいっ!!と思っている人しかいないだろうし、1日くらいいいんじゃないの?とか思っちゃう気持ちもよくわかります!

かゆいし、汗が溜まって気持ち悪いし、コルセットの下に来ている肌着は汗で絞れそうだし、擦れているところの皮膚が赤くなってきて痛くてたまらないし、骨も痛いし、思うように呼吸ができなくて息は切れるし、靴はすぐに履けないし、落とした消しゴムもうまく拾えないし、体育時は友達にコルセット装着を手伝ってもらわないといけないし、トイレも時間かかるし、学年で1人だけだし、コルセットのせいで寸胴体型だし、胸の大きさが左右で明らかに違うし、こんな地味な苦労を誰もわかってくれないし、それなのに親は装着をサボると鬼のように恐ろしいし、なんなんだこのやろう!(怒)って、術前のコルセット生活中は思っていました。

今もですが、10年前は今よりもさらに認知されていなくて、当然周囲の理解もなく。
誤解を恐れずに本音を言えば、「なんで私はこんな地味な病気を選んだのか!もっと命に関わるような重篤なやつだったらよかったのに!!」と正直、思っていました。

今思えば、本当に命に関わるような重篤な病気と闘っている人に対して失礼極まりないですし、命あってこそ今のこの生活が成り立つわけで、命に関わらない病気であることが、それだけでも救いであることに気づいていなかったのですが、本当に気づいていなかったかと言われればそうではなく、多分、周りに「理解」してもらいたかったり「気づいて」もらいたかったり、「頑張れ」とか「お疲れ」とかっていう一言を言ってもらいたかっただけなんだと思います。

そんな、ただただ鬱陶しいコルセット。
でも、あの物体は、ただ苦しみを与えるためだけにあるのではなくて、本当に私たちの身を守ったり、進行を止めるためにあるものなんです。紆余曲折あったコルセット生活を通して理解できたことや発見した思わぬメリットを今日は書いておこうと思います。

もし私が、側弯治療のためにコルセットをきちんとつけていたら・・・

私は、中2から大学1年の夏までの約5年間コルセット生活を送りましたが、途中、高校2〜以降は、ほとんど装着していませんでした。自己判断というか、単純なサボりです。理由は単純で、嫌だったし、なにより痛かったからです。

特に高校時代は、コルセットをクローゼットの奥に隠し、上から毛布やタオルなどを何重にも被せ、その前に大きな荷物を置いたりして、簡単に見つからないように工夫(汗)し、コルセットをきちんと装着しているかが確認できないよう、親の前では後ろ姿を見せないようにしたり、自室に篭ったりしていました。

後に、それがバレて、両親と大激突。
主治医に事の顛末を報告した両親は、「成長期だから痛いに決まっている!中2から身体の成長が止まるわけじゃあるまいし、成長に合わせて作り変えるのが当然!なぜもっと早くに相談しないんですか?」と逆に怒られる両親・・・・・・。

こんなこともありました。

成長期の著しい成長に合わせて側弯が進行するのを防ぐのがコルセットの役割なのですが、そのコルセットの装着放棄をすると一体どうなるのか。結果は自分自身が一番よくわかっています。私が最初に大学病院に受診したときの角度は45度。大学1年の夏の手術時の角度は68度。術後は20度前後になりましたが、もしも進行が抑えられていれば、同じように手術をしたとしても、術後10度以下とかになったかもしれません。

どうせいずれは手術をするんだし・・・。と装着を拒否した私ですが、そういた一時的な反抗心(?)が、身体にいらぬ負担をかけることになりました。

他にもある!コルセットにまつわるエピソード

散々紹介したように、とにかくコルセットって日常生活を送る上では邪魔でしかないんですよ。思ったよりは生活に困らないのですが、ちょっとしたつまづきみたいのが、とにかく多い。地味に負担・・・。つけなくてもいいんじゃないか?と思いたくなるのもわかりますが、実は、実際つけていたことで助かった!とかよかった!っていうこともあるんですよ。

1、激しく車と衝突しても無傷だった!

中学時代、自転車に乗っていたら、突然小道から飛び出してきた車と勢いよく衝突したことがあります。スピードを出していた私も悪いのですが、車と衝突した私は宙に舞い、車のボンネットに叩きつけられ、コロコロ転がりながら道路へ落ちました。
一部始終を目の前で見ていたクリーニング店のおばちゃんは、「死んだ」と思ったそうです。

急いで救急車を呼ぼうとすると、ムクッと起き上がる私。

本当に、かすり傷一つありませんでしたし、むち打ちみたいなものもありませんでした。自転車は、ぐっちゃぐちゃでしたけど。
怪我もなく済んだのは、そう、コルセットのおかげ。

 

2、満員電車で押しつぶされるのを防いでくれた!

術後1ヶ月も経過しないうちに大学の授業が始まったため、さっそくコルセットをつけて登校することになるのですが、大学までは自転車で30分、電車で1時間、さらに歩いて10 分となかなかの距離。自転車はともかく、問題だったのは朝の満員電車です。
術後1ヶ月も満たないうちにこんなカオスの中へと飛び込まねばならないなんて・・・・・・と思っていましたが、コルセットがきちんと我が身を守ってくれるんですよ。周りの人からの容赦ない体当たりみたいなのも平気。むしろ、思いっきりぶつかってきた人が「痛っ」みたいな顔をしていて、かわいそうなくらい。
頑丈にできてますね。

 

3、自慢できるくらいにウエストがくびれた

術後、半年くらいはコルセットを装着する生活を送っていたのですが、その強制的な生活は、モデルさながらにくびれたウエストをつくりました。ファッションセンスはともかく、洋服を綺麗に着こなせるとか、ラインのわかるTシャツが着られる嬉しさったら半端ない。ウエストがキュッとしまったおかげで、友達からも羨ましがられたり!

それまでは、コルセットがあるためにウエストが70オーバーとかのスカートやダボダボズボンを穿かされたり、我ながら「HIPHOPかよ!」と突っ込みたくなるようなオーバーTシャツを着たりして見た目をごまかしていたので、服選びがとても楽しかった思い出があります。

 

コルセットのおかげで、(一時的に)くびれたウエストを手に入れたりもしましたが、そんなことよりも、我が身を守ってもらえたことが装着していてよかったこと。

ずっと鬱陶しいと思い毛嫌いしていたけれど、「お前はいつも私のためにあるんだね」と相棒のように思えてきたりも・・・。するかな?

 

 

 

特発性脊柱側弯症の手術をしても子どもは無事に産めるのか問題

そろそろ夏休み。
毎年この時期がくると「ああ、手術したなあ、あの時」と思い出します。

手術となると、本人はもちろん親御さんはとにかく心配や不安が募るばかりでしょう。
私は呑気な大学生でしたが、さすがに前日の夜にはベッドの上で一人静かに号泣しました。

だって、母が主治医に「手術の危険性はどのくらいですか?」と尋ねたら、
「手術が危険かそうでないかと言われれば、危険としか言いようがありません。失敗があるかと言われれば、可能性としてはあります。間違って神経に触れ、歩けなくなるなどの可能性だって否定できません。が、飛行機や車に乗ることにしたって、常に危険はつきものです。車は絶対事故がないかと言われればありますよね。それを覚悟、承知の上で乗っていると思いますが」とかすごく当たり前なこと言っていたのを思い出したから。怖かった〜。

前日の夜、絶食のためお腹減りすぎの中、「私は明日手術なんだ、もしかしたら明後日から歩けないかもしれないんだ、足、ありがとう。でも、大丈夫、きっと成功する。何事もないに決まってる」と泣きながら眠りにつきました。

手術は成功というか無事に終わり、あの涙はなんだったのか?と自分でも思うくらい、いたって普通の生活を今送っています。

さて、そんな風に主治医に脅され(?)覚悟を決めて手術を決意し、それが無事成功に終わったとしても本人や特に親御さんの不安はなくなるわけではありません。

日常生活を送るにあたって、どこか支障はないのかとか、いろいろ心配ごとはあるわけですが、年頃の特に女性の場合だと、将来の結婚や妊娠・出産にどのくらい支障があるのか、特に親御さんはそこを心配されるみたいです。(私の母も心配していました)

これについては、医師も同じことを言うと思いますが、ごく普通に妊娠、出産は可能です。私だけでなく、様々な口コミサイトや体験談などを見ても、側弯が出産に影響したなどと書かれているものは、今のところ見たことがありません。

でも、出産はなにがあるかわかりません。それが出産です。

あくまで私の場合ですが、私が出産した時は、予定日の数週間前に主治医が分娩方法を「帝王切開にするか?」と言ってきてくれました。そして、いろいろ検査した結果、普通分娩でいけそうだと判断されましたが、念の為、「力みすぎて金具に何かあると困るから、吸引で助けてやろう」とオラオラ系の主治医が言ってくれました。
当日、悲痛な叫びと徹夜明けで朦朧とする中、元気な娘が誕生しました。

分娩はそんな感じ(どんな感じ?)で無事終えられたのですが、妊娠中、特に後期は腰痛が辛かったです。椅子に長時間座っていることができず、円形クッションもダメ、かろうじてふかふかのベッドの上に座るくらいならなんとか・・・という感じでした。
後期は腰痛になりやすいと言われますが、ちょっとひどかったですね。

ただ、それが側弯の影響なのかはわかりかねます。

側弯の手術を受けたものは、誰よりも産むことに敏感だ!

とりあえず、無事に産むことはできます、だからひとまず安心して!
と書いたところで、私個人がこの問題で一番伝えたいことを書きたいと思います。

産めるか、産めないかということが大切だということはよくわかりますが、私たち女性は子どもを産むための道具ではありません。
脊柱側弯症だからと、産めるか、産めないかを聞いてくるのはやめてくれ!

ただ一つ、周囲に大きな声で言いたいことがあるとすれば、これだけです。
例えば、一番子どもの側で寄り添ってきたであろう母親が気にしてしまうのはまだ理解できる範疇ですが、時々、他人から言われることがあるのですよ、これ。

私は何度か聞かれました。

1度目は、高校時代に交際していた彼の父親から。

2度目は、大学時代の彼から。

3度目は、年上の同業者(男性)から。

 

男性が失礼だ!なんて性差別をするつもりはありませんが、実際に聞いてきたのは男性だけでしたね。女性はそのへん、敏感なのか、触れてくる人はいませんでしたし、私がかなり普通にしているので、私が手術をしたことなど友人もすっかり忘れてくれています。

こう聞かれても、普通に「できるらしい」と答えるしかないのですが、内心かなり不快です。本人としては、「できる」と医者から言われていたって、不安なものなんです。

出産が無事に乗り越えられるかどうかだけでなく、生まれてくる子どもが先天性の側弯症だったらとか、自分と同じ特発性脊柱側弯症になったら・・・とか。

不安だけを取り上げたら、今もあります。
いつも考えているわけではないけれど、ふとした時に、異常はなさそうか見てしまいます。一時期、姿勢がなんかおかしいのではないかと思えて仕方がない時期があり、手術を受けた病院へ問い合わせたり、幼児期の側弯症について調べすぎてとてもブルーな気分に陥ったこともあります。

とりあえず、今のところは大丈夫そうですが、やはり気になるものです。
きっとこの不安は一生なくならないような気がします。

我が子に発症しなくてよかったと思っても、きっと孫が生まれたら気にしてしまいそうですし、発症したらしたで、「私のせいだ」と絶対落ち込むんだろうなと簡単に想像がつきます。

これは側弯症に限らず、様々な先天性の病気や遺伝性の病気と共に生きている人たちの多くが抱えていることなのでしょうが、こういった不安感はなくなるわけじゃないんです。周りに話さなくても、本人が一番深刻に考えているはずです。

自分のせいで周りが深刻になるのが、見ていられなかったり耐えられなかったりするので、極力なんでもなさそうに振舞うだけなんですよ。

私の場合、夫へは、私が自分自身の口から症状を伝え、理解してもらいました。夫は、私が側弯症の手術をしたことを知った上で交際し結婚したのですが、彼は勝手に、子どもは持たないかもしれない、と考えていたそうです。そして、もしも出産することで私の身体に負担があるなど大きなリスクがあるのなら、子どもは諦めようと提案するつもりだったとも言っていました。

 

上で紹介したように、デリカシーのなさげな男性ももちろんいますが、そういうことは絶対に言わず、きちんと理解してくれ、産めても産めなくても、側弯症でも、丸ごと受け入れてくれる人はちゃんと存在するんだ、と、初めて知りました。

決して夫自慢をするわけではありませんが、少なくとも、あんな人たちと結ばれなくてよかったと思っています。(相手もそう思ってると思う)

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ脊柱側弯症の術後11年目をむかえます。

最近、ふと自分の持病である特発性脊柱側弯症の最近の事情が知りたくなり、Twitterで検索してみました。すると、結構いらっしゃるのですね。

私は今年で術後11年目に入りますが、ここ数年(特に産後)は側弯症について考えることもなく、ごくごく普通に日々を送っていました。が、肌の弱い娘のためにオーガニックコットンのパジャマを縫っていたら、「そういえば、コルセットの下に着ていた下着が痒かったなあ」「あのころはオーガニックコットンの下着とかなかったよなあ」と、急に側弯症のことを思い出し、そういえばあれから側弯症事情(?)ってどう変わったのかな?と検索をかけてみた。というわけなんです。

Twitter上でしか検索はしていませんが、それでも様々な状況下で側弯症と向き合っている方々のつぶやきを拝見していると、中には術後間もないにも関わらず前向きに生きていこうと奮闘するだけでなく、他の患者に対して何かできることはないかと探す方もみえたんです。

それには、なんだか頭をガーンと打たれたような、気分でした。
当時、側弯症に関する情報が少なく、途方に暮れていた自分や母の背中を思い出しました。そして「チタンを使用しはじめてそんなに経過していないから、固定に使うチタンが何十年後にどうなっているかなどわからない」とはっきり主治医から言われたことも思い出しました。

それで思ったんです。

「とりあえず10年経過したし、懸念していた出産も普通分娩で無事に終えたし、とりあえず異常がなく普通に暮らせているという事実も、もしかしたらほんの少しでも参考になるかな?」と。

特発性脊柱側弯症と診断されるまでの簡単な経緯

とはいえ、側弯の症状はそれぞれ異なりますし、あれから年月も経っていて当時よりも医療事情は進化していることでしょう。最近の事情(?)は正直詳しくないので、どちらかというと、過去に起こったことや感じたことなどを振り返りながら、改めて側弯症と向き合う時間を作ろうかな、という感じです。

さて、そんな私が特発性脊柱側弯症と診断されるまでの経緯を簡単に追っていきたいと思います。

きっかけになったのは、中2の体育の時間で行った「とびうま」で、ペアになった友人が背骨の異常を指摘してくれたこと。友人と二人で休み時間に保険室に行き、先生に見せました。

保険室の先生から何か書類をもらい母親に見せると、「なにこれ?」と言う母親。
知らんがな。

どこか面倒くさそうにしていた母親ですが、数日後、近所の整形外科を予約してくれ連れて行ってくれました。なんの検査をしたかは正確に覚えていませんが、そこでレントゲンをとったのだけは覚えています。

私の住む町にある小さな整形外科だったのですが、先生はレントゲン写真を見るなり、「うちではみれませんので、市民病院へ行ってください。紹介状を書きます」と言いました。

さらに数日後、学校を休んで母と共に市民病院へ行くことに。
そこでまたレントゲンをとり、長い時間待ってようやく先生の診察を受けると、
「ここまでくるとうちではみれません。名古屋にあるM病院を紹介します。そこには側弯症の名医がいますから、その先生に診てもらってください」と言われました。

ここでようやく「側弯症」という病名が出て、「どうやら私はソクワンショウらしい」と認識し始めます。でも、それがどのような病気で、どんな治療が待っているのか、この段階では全く調べもせず、気にもせず、いやはやのんきなものでした。

母も同じくこの段階ではまだのんきな感じで、たらい回しにされるのを面倒くさがっていたようにも・・・・・・子どもの私の目には、そう映りました。

指摘してくれた友達は、時々「どうだった?」と聞いてくれ、その気遣いが嬉しかったです。

その後M病院へ行くのですが、その前に私は民間療法、いわゆる整体へ側弯の治療目的で通いました。整体師は、電気を流したりマッサージしたり・・・いろいろ施述をしてくれたのを覚えています。(正確に何回通ったかは覚えていません)

さて、市民病院でM病院を紹介してもらってから1〜2ヶ月が経ち、ようやく私はM病院の診察を受けることになります。※多分どこもそうだと思いますが、側弯外来って本当予約取れない!最近ますます取れない!!

当日の診察予約時間は、確か12時前だったと記憶しています。
でも、結局診察が行われたのは何時だったと思いますか?
14時?15時?
いいえ違います。19時です!!!

てっきりすぐに終わるだろうと踏んでいた母は、自宅でのレッスン(ピアノの先生でした)に間に合わないため、生徒へ電話し、カリカリ気味。私は私で、母のイライラを受けてイライラ。小学生の弟も帰宅しているのに帰れずで、母は余計にイラついている様子でしたが、私は好きでこんなところへ来ているわけじゃないし、イラつくくらいならほっといてよ。と内心思いながらイライラ。

母娘二人でイライラMAXの時にようやく名前が呼ばれます。

名医として紹介され、のちに私の手術をしてくれたK先生は、レントゲン写真を見ると「特発性脊柱側弯症ですね」と言い、側弯症がどのような病気で、放置しているとどうなるのか、治療法、私の現状やそれに対しての治療法などを淡々と説明してくれました。

病気になったのは何も嬉しいことではないのですが、やっと答えにたどり着いたというような開放感に包まれました。

母は「コルセットでの矯正は難しく手術しかない」と言われだいぶショックを受けているようでしたが、私は「へー、手術で治るのか」と結構のんきなもの。
手術すれば0度になるんだと勝手に勘違いして、術後、「えー話違うー!」と一人ショックを受けていたのは私です。その説明はあったと思いますが、聞いていなかった・・・。

とても長くなるので、とりあえず今日は「特発性脊柱側弯症」という病名がつけられるまでを振り返ってみました。